『美』は「正義」や「善」などと並んで、人間が追い求める普遍的な価値の一つである。しかし、万人に了解される「美」というのは存在するのだろうか。個別の美的経験なくして「美」というのは認識不可能である。これが「美」ですと見せられても、直感的にガッテン!とはならないことがあるはずである。個別の美的経験抜きには感知できないからである。そうなると、皆が共有できる「美」は形而上学的なものということになり、一表現者がそれを見えるようにすることはできない。事象は個々の美的経験によってフルイにかけられて初めて「個別の美」として視覚化可能となる。そのフルイにかける作業が作家の「美学」であり、そうすることでしか視覚化はできないのである。それを伝わるように視覚化する技術を造形性とした。
ボッテチェリ「春」部分 <三美神>
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